六段が語る「私とスポーツウェルネス吹矢」その1 宇吹新次 |
師範・六段位・中国ブロック長
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◆吹矢との出会い
2006年3月、新聞折り込みにカルチャー教室の講座案内があった。
その中の新規開講講座、「吹矢と呼吸法」が目に入った。
「吹矢と呼吸法」?・・・何だろう?
当時、呼吸法に興味を持っていたこともあって申し込んだ。
やってみると、むつかしさを感じることはなく、年齢を重ねても続けられそうだ。
面白いと思った。
吹矢って、やっている人はまだ少ないだろう。
(当時の会員数は1万人に達していなかった)
でも、今後発展普及していきそうだとなぜか感じた。
以来、吹矢にハマッて15年・・・・
◆昇段試験、資格認定試験に挑戦
当時、所属していた「呉市大和支部」(廃部)の支部長が
二段位までの審査権をお持ちだった。
二段位までは呉市大和支部で受験出来た。
三段位は協会本部から前副理事長の横田さんに呉までお越しいただいて受験した。
(当時、広島県内に三段位以上の審査権をお持ちの方は居なかった)
四段位から六段位までは協会本部まで行って受験せざるを得なかった。
四段位試験は162点で基準点ギリギリの合格、五段位試験の時は188点で合格できた。
◆六段位への挑戦
当時の制度では五段位合格後1年経て、第1次六段受験資格認定試験を受験。
合格してさらに1年経過すると、2回目の第2次六段受験資格認定試験を
受験することになる。
2回の維持試験に合格した受験者は指定された課題について論文を提出。
論文試験に合格した者は実技試験の受験が可能となった。
実技試験に合格すると面談が行なわれ、合否が決定される。
私の場合は2回の維持試験に合格後、六段位試験を受験した。
もちろん東京の協会本部まで行っての受験である。
1回目は182点で不合格。
2回目は「絶対合格!!」と、強い思いを持って準備した。
ところが、受験日の前日、「ぎっくり腰」を発症してしまった。
やむなく、受験できない旨を協会に連絡した。
その1週間後にも予定されていた六段位試験に、
受験者の空きがあって受験することが出来た。
この時は1ラウンド目にパーフェクトが出て、その後も集中力を切らすことなく194点で合格できた(全国で16人目だった)。五段位合格後、4年が経過していた。
当時の六段位は、それくらいハードルが高かった。
◆公認指導員試験&Aライセンス認定試験
当時の公認指導員試験は3段階で行われた。
?申込時に課題レポートを提出
?第1次審査は大阪府でテストと講習
?第2次審査は静岡県伊東市「吹矢の宿ほっと」で、1泊2日の研修
レポート、テスト、講習、研修等を経て公認指導員に認定された。
今では考えられないような手順を踏んで、公認指導員の認定を受けた。
上級公認指導員の試験を受けるときは、本部教育部から講師が来られ、東広島で大阪・
高知・佐賀の方々と一緒に受験した。
上級公認指導員の認定は得たが、昇段位の審査権は四段位までしかなかった。
五段位までの審査権を得るにはAライセンス認定試験を受けて合格せねばならない。
五段位の県会長には五段位までの審査権が与えられるが、Aライセンス保持者となって
五段位の審査員になりたいと思った。
しかし一度目は不合格となった。実技試験で合格点が取れなかったのだ。
六段位試験は余裕で合格できた後だったので、どうってことないわ、と気のゆるみがあったのか、矢がバラバラになり、気も焦りだして不合格。
半年後に再度受けて合格。
試験を受けたのは2月で、東京は雪が積もって寒い日だった。
当時、試験として受験できるものはすべて終了した。
◆寺本定美さんとの思い出
寺本さんは師範、中国ブロック長、筆の里くまの支部長、初代の
広島県会長など広島県協会の礎としてご活躍いただきました。
2021年2月11日、急逝されました。
誠に残念でなりません・・・いまだに信じがたい気持ちです。
ご冥福をお祈りいたします。
吹矢を始めて2〜3年たった頃、寺本さんから「一緒に青柳杯大会、全国大会に行きませんか」と声を掛けていただいた。
それ以来、中四国はもとより、関西、東京、静岡、佐賀等各地の大会にご一緒させていただき、競い合い、高め合ってきた。
六段位試験にも積極的に挑戦され、寺本さんが合格された1週間後、私も合格出来て、
広島県で同時期に二人の六段位が誕生した。
寺本さんが中国ブロック長で、中国ブロック教育部長、
審判部長をなさっていた時のことです。
私は、中国ブロック副教育部長、副審判部長として広島、山口、島根、鳥取各県の公認指導員、公認審判員の試験、講習会で講師をするように、と指示をいただいた。
当時、地方では公認審判員の講習&試験はほとんど行われていなかった。
協会審判部からの資料を基に「地方の実情に合うように、試験問題・講習会の方法についてこのように実施しようと思います」と、寺本部長に計画書を見ていただいた。
「完璧です」と言っていただいたことが強く印象に残っている。
広島県内で開催される大会は、大小合わせて年間8か所で
開催されるほど活発になってきた。
吹矢競技大会をスムーズに公正公平に開催する上で、
公認審判員の活躍は欠かすことができない。
私は寺本部長の承認を頂いたうえで、広島、山口、島根、鳥取、各県の会員さんに声掛けをして、公認審判員試験を受験していただいて来た。
広島県では、50人の公認審判員を誕生させることを目標にやってきた。
コロナで1年遅れたが、後任の広島県協会審判部役員の皆さんに引き継いでいただいて、50人誕生している。
協会本部で公認審判員制度をつくるとき、協会本部の役員の方々と宿泊研修所
「ほっと倶楽部」で勉強会をされたそうです。
そのとき、国際卓球連盟公認の国際審判員資格をお持ちの寺本さんが、
「審判員の心構え」について講演をされたと聞いている。
寺本さんのご功績をたたえ、謹んでご冥福をお祈りします。
2021年7月1日


